原村和のおもちと言えば、清澄で知らないものはない。


長さは六七寸あって胸から臍の上まで下っている。


形は丸く、とにかく大きい。


言わば、丸く大きく柔らかなおもちのようなものが、ぶらりと胸からぶら下がっているのである。


十六歳を越えた和は、阿知賀にいた昔から、清澄の副将を任されるに至った今日まで、内心ではいつもこのおもちを苦に病んできた。


もちろん表面では、今でもさほど気にならないような顔をして澄ましている。


これは、麻雀に集中しなければならないのにおもちのことを気にするべきではない、と思ったばかりではない。


それよりむしろ、自分でおもちを気にしているということを、人に知られるのが嫌だったからである。


和は日常の会話の中に、おもちという言葉が出てくるのを何よりも恐れていた。


正月などは、ひときわ大変である。


和がおもちを持て余した理由は二つある。


一つは実際に、おもちが大きいのが不便だったからである。


ご飯を食べるときにも皿や箸が見えなくて食べづらい。


少し動けばおもちがコップに当たり飲み物がこぼれてしまう。


そこで和は、自ら手伝いを志願してきた阿知賀の友人を、椅子の後ろに来させて、おもちを押さえてもらうことにした。


しかしこうしてご飯を食べようとしても、おもちを押さえている友人にとっても、押さえられている和にとっても決して容易ではなかった。


一度我慢ができなくなった友人が、暴れながらおもちを揉みしだきそのまま倒れたことは当時阿知賀まで広まった。


けれどもこれは和にとって、決しておもちを苦に病んだ主な理由ではない。


和は実にこのおもちによって傷つけられる自尊心のために苦しんだのである。


そこで和は、積極的にも消極的にもこの自尊心の毀損を回復しようと試みた。


まず和が考えたのは、このおもちを実際以上に小さく見せる方法である。


これは、自宅で一人のとき、鏡に向かって、いろいろな角度からおもちを映しながら熱心に工夫を凝らして見た。


どうかすると、顔の位置を変えるだけでは安心ができなくなり、頬杖をついたり腕組みをしたりして、根気よく鏡を覗いて見ることもあった。


しかし、自分でも満足するほど、おもちが小さく見えたことは、これまでにただの一度もない。


時によると、苦心すればするほど、大きく見えることもあった。


和は、こういう時には、鏡に布をかけて今更のようにため息をつき、エトペンを抱いてネット麻雀に没頭するのである。

 

 


それから和は、絶えず人のおもちを気にしていた。


清澄高校の食堂には、休み時間になると多くの生徒が出入りする。


和はこういう人々のおもちを根気よく物色した。


一人でも自分のようなおもちを持つ生徒を見つけて、安心をしたかったからである。


だから和の目には、白と紺の制服も赤や緑の学年色のスカーフも入らない。


和は人を見ずに、ただ、おもちを見た。


――――しかし貧乳はあっても、和のようなおもちは一つも見当たらない。


その見当たらない事が度重なるに従って、和の心は次第にまた不快になった。


和が人と話しながら、思わずぶらりと下るおもちが擦れて、顔を赤らめたのは、全くこの不快と性的な快に動かされての所為である。


和がこういう消極的な苦心をしながらも、一方ではまた、積極的におもちを小さくする方法を試みた事は、わざわざここに言うまでもない。


和はこの方面でもほとんど出来るだけのことをした。


キャベツや鶏肉を食べるのは控えるようにした事もある。牛乳を飲まず日光も浴びなかった事もある。


しかし何をどうしても、おもちは依然として、六七寸の長さをぶらりと胸からぶら下げているではないか。


ところがインターハイも無事優勝し終えた秋、後輩のマホが、大阪の医者からおもちを小さくする方法を教わってきた。


その医者というのは、三箇牧高校の荒川憩で、当時は荒川病院で看護士になっていたのである。


和は、訝しんでいたが、藁にも縋る気持ちではあった。


しかし、いつものように、おもちなどは気にかけないと言う風に、わざとその方法もやってみようとは言わずにいた。


そうして一方では、気軽な口調で、このおもちは煩わしい、小さくなればどれだけ楽かというような事を言った。


内心では勿論マホが、自分を説き伏せて、この方法を試みさせるのを待っていたのである。


マホにも、和のこの策略がわからない筈はない。


若干の同情と先輩を立てる気持ちから、マホは和の予期通りこの方法を勧め始めた。


そうして和自身もまた、その予期通りこの熱心な勧告に従った。

 

 

その方法というのは、ただ、湯でおもちを茹でて、そのおもちを人に踏ませると言う、極めて簡単なものだった。


湯は部室のポットで毎日沸いている。


マホは何回かに分けて熱湯で部室にあった盥を満たし、和のもとに持ってきた。


幾分かの恐怖心はあったが覚悟を決めて、おもちを熱湯に沈めた。


しかし、おもちはなぜか熱湯に入れても少しも熱くないのである。


不思議に思い動揺する和を差し置きマホが言う。


「そろそろ茹だつ頃ですよっ」


おもちは熱湯に蒸されて、むず痒い。


マホは和が熱湯から引き上げた未だに湯気立つおもちを、両足に力を入れながら踏み始めた。


和は横になっておもちを床板の上へ伸ばしながら、マホの足が上下に動くのを眼下に見ているのである。


マホは時々気の毒そうな顔をして和を見下しながら、こんなことを言った。


「痛くないですか!?」


「荒川さんは力いっぱい踏めと言っていたんですけど...」


「大丈夫ですよ、続けてください」


そう答える。実際おもちはむず痒い所を踏まれるので、痛いよりもかえって気持ちのいいくらいだった。


しばらく踏まれていると、やがて、おもちの先端が大きくなり始めた。


マホはこれを見ると、足を止めて独り言のようにこう言った。


「これをピンセットで引っ張って抜きなさいって言ってました!」


和は、不足そうに頬を膨らせて、黙ってマホのするなりになっていた。


勿論マホの親切が分からない訳ではない。


それは分かっていても、自分のおもちをまるで物のように扱われるのがいささか不愉快に思われたからである。


和は、信頼している後輩のやってくれている事だ、心配はない、と自分に言い聞かせピンセットでおもちを取っているのを眺めていた。


やがてこれが一通りすむと、マホは、ほっと一息ついたような顔をして、


「ふぅ、これをもう一度茹でれば完了です!」


と言った。


和はやはり眉を八の字に寄せたまま、マホのいいなりになっていた。

 

 


さて二度目に茹でたおもちを出して見ると、確かに、いつになく小さくなっている。


これで当たり前ほどの大きさとさして変わりはない。


和はその小さくなったおもちを撫でながら、マホの出してくれている鏡を、きまりが悪そうにおずおずと覗いて見た。


おもちは―――あの臍の上あたりまで下っていたおもちは、ほとんど嘘のように萎縮して、今は咲のものよりも小さくなり残喘を保っている。


所々まだらに赤くなっているのは、恐らく踏まれた時の痕だろう。


こうなれば、もう誰も哂う人はいないに違いない。


――――鏡の中にある和の顔は、鏡の外にある和の顔を見て、満足そうに目をしばたたいた。


そしてマホに礼を告げ、誰にも見つからないように、特に友人のK二人に見つからないようにして家路に着いた。

 

 


しかし、その日はまだ一日、おもちがまた大きくなりはしないかという不安があった。


そこで和はネット麻雀をする時にも、料理をする時にも、暇さえあれば、そっとおもちをさわって見ていた。


が、おもちは慎ましくぶかぶかの服の下に納まっているだけで、格別それより下へぶら下がってくる景色もない。


それから一晩寝てあくる日早く目が覚めると和はまず、第一に自分のおもちを撫でてみた。


おもちは依然として小さい。


和はそこで、幾年にもなく、エトペンを抱いて寝ているときのようなのびのびした気分になった。


それには両親が仕事で家におらず、一人で気兼ねなく喜べたというのも大きかった。

 

 


ところが、快い気持ちで登校してしばらくすると、和は意外な事実を発見した。


すれちがう生徒達が、前よりも一層奇特そうな顔をして、話もろくにせずに、じろじろと和のおもちを眺めるのである。


それのみならず、和のおもちを揉みしだいて気絶した事のある友人のKなどは、旧校舎で行き違った時に、和のおもちを見た瞬間また気絶し倒れてしまった。


部員達が、面と向かっている間だけは慎んで聞いていても、和がいないときには内緒話をしていたのは一度や二度ではない。


和ははじめ、これを制服がぶかぶかであるせいだと解釈していた。


早く寸法を直さなくては、などと呑気に考えていたが、どうもこの解釈だけでは十分に説明がつかないようである。


――――勿論、生徒や友人達が訝しむ原因は、そこにあるに違いない。


見慣れた大きいおもちより見慣れない小さなおもちの方が奇特に見えると言われればそれまでだ。


が、そこにはまだ何かあるらしい。

 

 


「前まではここまで露骨ではありませんでした...」


和は、時々自分の部屋でこう独りごちることがあった。


そういう時は、必ずぼんやり、写真立てに飾っていたインターハイに優勝した時の記念写真を眺めた。


そしてまだおもちが大きかった四五日前の事を思い出して、塞ぎ込んでしまうのである。


こうして段々と和の中で、小さくなったおもちを忌々しく思う気持ちが大きくなっていった。

 

 


するとある夜のことである。


日が暮れてから急に風が出てきたと見えて、窓が揺れる音が、うるさいほど枕に伝わってきた。


その上、寒さも段々と厳しくなってきていたので、なかなか寝付けない。


そこで、毛布の中でエトペンを抱いて丸まっていると、ふとおもちがいつになくむず痒いのに気がついた。


手を当ててみると少しむくんでいるように感じた。


加えてそこだけに、熱さえもあるらしい。


「無理に小さくしたので、病気になったのかもしれません...!」


和は、消え入るような恭しい手つきで、おもちを抑えながらこう呟いた。

 

 


翌朝、和がいつものように目を覚ますと、家の周りの木の葉が落ちたので、庭が黄金のように明るい。


まだ薄い朝日に、九輪が眩く光っている。


和はベランダに立って、深く息を吸い込んだ。


ほとんど忘れようとしていたある感覚が、再び和に帰ってきたのはこの時である。


和は慌てておもちに手をやった。


手にさわるものは昨夜の小さいおもちではない。


胸から臍の上あたりまで、六七寸あまりもぶら下がっている、昔の大きいおもちである。


和は、おもちが一夜の中に、また元の通り大きくなったのを知った。


そんなオカルトは有り得ない、とは言えなかった。


そうしてそれと同時に、おもちが小さくなった時と同じような、はればれした心持ちが、どこからともなく帰って来るのを感じた。


――――こうなれば、もう元通りに違いありません。


和は心の中でこう自分に囁いた。


大きいおもちを明け方の秋風にぶらつかせながら。

 

 


カン!